【ひとりで生きる覚悟を決めた時】不安?寂しい?それとも・・・

八ヶ岳南麓~社会学者と医者と仏教

2ヵ月ぶりに一人暮らしを続ける親父の家に顔を出しました。かれこれ20年以上その暮らしぶりは続き、御年80歳を超えています。同居を頑なに拒み、一人で生きて行く事を選択した団塊世代の人です。その間、癌や循環器系の大病を患いながらも・・・、そう言えば「オレオレ詐欺」にも引っ掛かりながらも幸せそうに暮らしています。無趣味で人付き合いも億劫だと明言していた人が果たして老後の人生とどう向き合ってきたのか?孤独感や寂しさは無いのか?これから確実に訪れるであろう自分の「老後」と重ね合わせながらちょっと考えてみました。ちなみに「ひとりで」と言う意味は「一人暮らし」の事です。

未来の日本は不安だらけ?

「死別」「未婚」「離婚」「介護負担」「価値観の違い」等から「ひとりで生きて行く」事を余儀なくされる方、選択される方も多くいる事でしょう。年齢が上がるにつれその割合は大きく、自分自身のゴールに向かって試行錯誤する事と思います。但しその決断には大きな壁が存在します。まずは現役世代が最も恐れる共通項年金。諸悪の根源である「お金」です。なかなかの強者ですね。現在、親父は年金だけで十分暮らせています。一人で生きる上では強い味方であり、大体の問題は解決する事でしょう。しかしこれから老後に向かって生きていく者にっては非常に高く恐ろしい壁。2,000万円・・・。どっかに落ちてないかな?

お次は健康。年を重ねるにつれジワリジワリと追い詰められてきます。いっその事コーナーポストに追い詰めたら一気に勝負をつけて欲しいと自分自身の体については思う所ですが、現代の医学がそうさせてくれません。親父は癌に加えてペースメーカーを埋め込んでの生還。本人曰く「別に長生きしたい訳じゃないけど、医者の言う事きいてたら案外死ねないもんだな~」と大笑いして今でも他人事のように話しています。老人のひとり暮らしがそうさせているのか分かりませんが、まだまだ生きる気力に満ち溢れているようです。自分が老後を迎えた時、そして一人暮らしであったとしたら・・・、退院後、安心して誰も居ない自宅に帰ってこれるであろうか?ちなみに父親は家族に内緒で帰宅していました(゚Д゚;)

今から心配で病気になりそうです。

「少子高齢化」「巨大地震」「GDPマイナス成長」「移民国家」

白目を剥いて倒れそうです。

不安を和らげる「魔法の言葉」

社会学者 上野千鶴子

ベストセラー「おひとりさまの老後」の著者。元東京大学大学院教授で「女性学・フェミニズム・ジェンダー」の研究者であり、「高齢者の介護とケア」にも精通しています。またテレビ出演や講演など多方面で活躍されています。

実はこの方八ヶ岳南麓の山梨県北杜市と東京で二拠点生活をしています。講演も北杜市で何度か行われているのを最近知りました。北杜を愛して選んで移住してきた人達が、どうすればフレイル期以後も自宅で住み続ける事が出来るのかを考えながら、一緒に伴走しているとても心強い方なのです。北杜市の図書館ではこの方の著書は「北杜ゆかりのコーナー」に置いてある程です。またYouTubeで老後に関する講演の様子を観ましたが、非常にウィットに富んだ分かり易い内容になっていて、しかも京都弁の親しみ易さと愛嬌が非常に魅力的です。

「家族と一緒にいる事が幸せであるとは限らない」

「在宅ひとり死のススメ」

「金持ちより人持ち」

詳しく解説はしませんが、上野先生は人生満足度が非常に低いと言われる「ミドルエイジ」に対して頼もしい助言をしています。私もこの年代に入りますがちょっと気が楽になりました。
「ピンピンコロリ」でいの一番に逝くのが理想ですが、万が一ひとりで生きる事になった場合には先生の書物をバイブルに覚悟を決めようと思います。

医師 辻川覚志

「老後はひとり暮らしが幸せ」

開業医をしている辻川医師がデータを基に導き出した結論です。「不安」は原因が分かれば解消し、「寂しさ」は時間経てば必ず慣れるそうです。エビデンスに裏打ちされた答えなので信頼できるでしょう。ちなみに2人暮らしが一番満足度が低いそうです。

ブッダの教え

「老いるまま平穏に生きる」

仏教が説く幸せの状態です。平穏の心を仏教では寂静(じゃくじょう)と言うそうですが、つまり何事にも執着せず穏やかに生きる事が幸せの根源であると。仏教の創始者ブッダが悟った事は「老病死」から逃れる事が幸せなのではない。それは若さへの執着、健康への執着、生への執着。執着心がある限り苦悩は消えません。何故なら苦悩の根源は執着であるから。仏教のいう「幸せ」とは、ありのままを享受し平穏に生きる事であるというのは理解できますが、果たして一般人に乗り越えられる壁なのだろうか?といった疑問は残ります。しかしながら、その時が来た時には何らかの心の支えにはなりそうです。

まとめ

親父曰く「誰にも干渉されず自由に生きる」事が幸せの第一条件だそうです。日がな一日テレビを観て、食べたい物を食べて、病院通って、気の合う仲間と酒を酌み交わすだけで幸せだと言います。そもそも「人生なるようにしかならない」を地で行くような人ですから、孤独も寂しさもあまり感じないようですね。ある意味「仏教の教え」に通ずるものを感じます。そして自宅に「自由」があるからこそ生還したんだと豪語していました。

しかしミドルエイジにとっての答えは、そこには無いように思えます。「お金」と「幸せ」が表裏一体、複雑に絡み合っているとすれば、ど~しても手の届かないと思える平穏な日々。ましてやひとりで生きるなんて覚悟は・・・。やっぱり「なるようにしかならない」と開き直るしかないのか?今から物凄く不安でなりません^_^;

未来の事はどうなるか分かりませんが出来るだけ情報リテラシーを高め、お金がなくても「自由」と「幸せ」を感じられる老後であればと・・・。親父観察、もう少し続けようと思います。

そして最期に「あの方」のお言葉がふと降りてきました。「この道をゆけばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ!ダーッ!」

「元気ですかー!元気があれば何でも出来る!」




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