【箱根駅伝】長年の疑問だった「わだかまり」が解けます~第100回大会「参加資格」の大幅変更

箱根駅伝 絆の像                

2023年1月2日・3日に開催された第99回箱根駅伝。駒沢大学の完全制覇で幕を閉じました。普段、陸上競技に関心のない方もテレビの前でのんびりお酒を飲みながら、学生達の「気持ちの良い死闘」を観戦したのではないでしょうか。

2024年に開催される箱根駅伝には大きな変更点が2つあります。関東のみならず全国の日本人が何んとな~く疑問に思っていた事がスッキリする大きな出来事です。

果たして箱根駅伝の未来が世界へと続く変更点とは?次回「第100回大会」をより一層楽しむ為に「歴史」と「魅力」を簡潔にまとめながら「その真相」に迫ります。

金栗四三の想いから始まる「箱根駅伝」

金栗四三(かなくりしそう)
マラソン選手として初めてオリンピックに出場した人物で「日本マラソンの父」と称されます。この方が発起人となり1920年第1回箱根駅伝が開催されました。「世界に通用する選手を育成したい」という強い想いが込められています。

開催当初は参加校がなかなか集まらず、出場したのは4校だけ。復路のタイムは7時間半~9時間近くかかっていました。第99回大会の駒沢大学の記録は往路5時間23分、復路5時間24分。確実に世界との差が縮まっています。

「日本マラソンの父」の偉業と「破られる事のない」記録

大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人、金栗四三。計3回のオリンピックに出場し、日本マラソン普及のために一生を捧げた歴史上の偉人です。

2000年シドニーオリンピックで高橋尚子選手、2004年アテネオリンピックで野口みずき選手が金メダルを獲得。この功績の礎には金栗氏の偉業が必要不可欠だったと言えるでしょう。ちなみに男子の金メダルは現段階ではゼロ(戦時中の記録は除く)。フランス大会に期待!

そんな金栗氏ですが、今後だれにも破る事が出来ない記録があります。それは「マラソン世界最長記録」。54年246日5時間32分20秒3という完走タイム。

引用元:読売新聞社 ゴールの瞬間(金栗氏)               

1912年ストックホルム・オリンピックでの出来事。金栗氏は準備不足と疲労により転倒、途中棄権。付近に住む家族によって回復しましたが「棄権の届け出」をせず、誰にも告げずにそのまま帰国して「失踪者」扱いとなる。その後、1967年にスウェーデンのテレビ局がこの出来事を調査、そして金栗氏を見つけ出し「あの時のレースを完走してみないか?」と提案。1967年3月、史上最も長いマラソンレースが完結しました。この記録は「マラソン完走最長タイム」としてギネス世界記録に登録されています。

今では絶対に不可能な記録。時代が成しえたギネス記録。歴史に残る偉人にとって、そして日本人にとって最高の逸話として語り継がれる事でしょう。

1983年、92歳で永眠。

なぜ「箱根駅伝」は全国で人気なの?

100年の「歴史」と「東京ブランド」
長い歴史に秘めるドラマと東京発のマラソンコース。日本の中心である東京に昔から「憧れ」と「期待」を寄せる日本人がいつの時代にも大勢います。

過酷なレース環境
全長217.1km、標高差800m以上の極寒コース。全選手が20km以上を完走する脚力が必要で、この過酷なレースを10人の選手がひたむきにタスキを繋ぎ全力疾走します。

正月に生中継
1987年、日本テレビ系列で全区間生中継が始まりました。正月の風物詩となる決定打。

駅伝そのものの魅力
日本人の大好きなチームプレー。国民性と言っても良いでしょうね。個人プレーでは味わえない全員で協力して勝ち取るスポーツ。一人一人がタスキを繋ぎ合わせる事で成立します。ゴールに向かって他の9人の「期待」と「想い」がタスキを受け取る選手の姿に投影されます。

2021年の2日間の平均視聴率はとうとう歴代1位「32.3%」を叩き出しました。

「箱根駅伝」にわかファンが最低限必要な予備知識

花の2区
各校のエースが繰り広げる「頂上決戦」。後半の権太坂とラスト3kmが勝負どころです。距離が最も長く、「ごぼう抜き」と言われる順位の変動も多く見られます。

神が降臨する5区
800mの標高差を駆け上ります。寒暖差も激しい過酷な環境。最難関区間。この区間を制覇する選手に贈られるニックネームは「山の神」。優勝争いするうえで大事な勝負区間。

ドラマが起こる8区・9区
無情なる「繰り上げスタート」。この辺りから下位チームは繰り上げスタートとの闘いが本格化します。あと数秒でタスキが繋がったのに・・。そして優勝争い、シード権争いも激化します。

最終10区
ゴールする選手の表情が素敵です。「うれし泣き」なのか「悔し泣き」なのか?彼らを取巻く全ての感情がここに集約されます。

とうとう実現します!全国から箱根へ

結論から言うと、第100回箱根駅伝は真の日本一を競います。そして予選会で敗退した大学選手で構成される混成チーム関東学生連合は編成されません。

①予選会の参加資格が関東から全国へと広がります。これまでは関東の大学だけが参加するローカル大会と揶揄される事もありましたが、次回の大会からは真の意味での日本一という称号を得られます。

これまでも事実上の大学日本一を決める駅伝大会は「箱根駅伝」だと言われて来ました。箱根駅伝の歴史と伝統、全国的な人気から高校のトップ選手は関東の大学を目指します。理由は箱根を走りたいから。それ故、関東とその他の地域の実力差は明らかで、近年では「三大駅伝」の優勝校は全て関東の大学です。

しかしながら参加資格が全国に拡大する事によって地域格差は縮まり、郷土愛を背負う事で更なる希望と可能性が広がり、ひいては実力の底上げにも繋がる事は間違いないでしょう。そして堂々と「学生日本一」と高らかに宣言する日がよ~やくやって来ます。

②そしてもう一つのわだかまり「関東学生連合」。予選に敗れた各大学からタイムの上位選手が選ばれる混成チームです。果たして必要なのだろうか?とずっと疑問に思っていました。そもそも駅伝とはチームプレーであり、各大学の名誉や伝統そして苦しい日々のマラソン生活を共に歩んできた「絆」を背負って走る晴れの舞台です。選ばれた選手の複雑な心境は如何に?と思っていた悪弊が第100回大会には姿を消します。

原点回帰が出発点です

2023年秋の予選会からその挑戦が始まります。箱根駅伝100年の歴史において初めての試み。関係者曰く「世界で通用する選手を育成したい」という金栗四三氏の想いに回帰する為だという。

箱根駅伝が創設された時の理念が我々の「わだかまり」を見事に解決してくれましたね。

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まとめ

今から第100回箱根駅伝が楽しみですね。特に関東以外の学生やOB、住民の方の正月の過ごし方が変わって行くのではないでしょうか?

一方で関東の強豪校からしたら、戦々恐々とした思いに駆られる事でしょう。これまで以上の激戦が予想されますから。2024年、第100回箱根駅伝「戦国時代」の幕開けです。

果たして10年後の覇者は今どこに眠っているのか!興味津々です。

※2025年以降の参加資格に関しては未定です



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